04. ヴァージンウォーター
ニホンザリガニは湧水や沢の源流部に生息します。斜面からわずかに水がしみ出すような所であったり、湿地のような泥にぬかる所であったり、スゲなど抽水植物の茂る流れや林間の清流だったりもします。山間のカルデラ湖など止水にも生息しますが、降水に由来する膨大な冷水が背後に存在する環境です。これらの多様な生息地に共通する特徴は、逆に生息しない水環境である川の中流、下流、堀、田んぼ、池、沼などと対比してみるとよく見えてきます。
その特徴はまず、他の生物が未だ利用していない新しい水を真っ先に利用していること。
そして冷涼で温度変化が小さい環境であることなどが挙げられます。大きな個体は巣穴を掘って暮らしますが、内部を水が流れ排泄物や食いカスを洗い流す構造になっています。
ニホンザリガニ生息環境の例(1)
水のしみ出す草付きの斜面に巣穴の出入口があります。大型の個体では深さ50センチほど水脈に沿ってほぼ水平に掘られ、運び出した砂泥のダムで水位が調節されています。
こんな巣に住んでいると食事はどうするんでしょうネ? 暗くなるころ陸上を歩いて外出? 食事の後は迷わず我が家に戻れるんですネ。
ニホンザリガニ生息環境の例(2)
幅が30センチほどの小さな水路わきの草付きの表土を50センチ×1メートルほど剥がしてみました。写真では、右側にあるのが水路で上から下方向へ水が流れています。左側がザリガニが掘った地下水路(巣)です。本来の水路と平行に掘られ複数の出入口でつながり、上流側の口から水が入り、内部を水が流れる構造になっています。
ニホンザリガニが生息する水「ヴァージンウォーター」にいついて少しだけ考えてみましょう。ここでは、水質の化学的分析には踏み込みません。(関心の有る方は研究して下さい)
水量
斜面からしみ出す水、例えば1分間にほんの 0.1リットルしか溜まらないほどの量であっても、1日量としては144リットルもの水が流れます。60センチ水槽・毎日・全換水にも相当します。一見わずかな水量の場所に生息しているように見えても意外と大量の清水に潤されています。
水質
一般に「水中に生息する」ということは、自らの排泄物の希釈液の中で暮らすということです。平たく言えば「自分の糞小便にまみれて」暮らしているということになります。もちろん、微生物を含めて多様な生物が共存することにより、食物連鎖の中で排泄物もやがて餌となり、「水清ければ魚棲まず」という言葉が示すように源流部に対して下流域には豊かな生態系が成立します。
飼育水を良好に保つためには、通常は、濾過の性能を上げて同じ水を繰り返し使います。しかしこれは下流域の生物を飼育するやり方です。ニホンザリガニは源流部・水洗トイレ完備の世界の住人です。「濾過しなければならないほど汚い水」は捨てて新しい水に換えることにより「ヴァージンウォーター」に近付くことができます。
水温
「20℃を超えない温域」についてはよく言われます。飼育下の観察では18℃を超えると「暑がり」ます。22℃を超えると新子の稚ザリには死ぬものが出はじめます。成体はもう少し高くても耐えられますが、これが生理的にダメージの出始める温度と考えています。一方、5℃を下回ると「寒がって」巣穴をさらに深く掘ろうとします。0℃を下回り飼育槽に薄氷が張っても静かに解かしてやれば特に異常は起きないようにも見えます。
北海道南部(一例)での地下水の温度は、湧き口付近で夏は17℃くらい、冬は5℃くらいです。生息地の水温変化もほぼこんなところ、「ヴァージンウォーター」の季節による温度変化は少し広目にとると0~22℃くらいということになります。
ここで見落されがちなのがその短期的な「温度の安定性」です。湧水の水温「日変動巾」はほぼゼロ。巣穴の中も「日変動巾」は微小です。
濾過より換水、そしてなおかつ水温の安定。飼育槽では両立困難なこの2つの要求を「ヴァージンウォーター」はいつも同時に満たしています。飼育下での繁殖を実現するには、換水重視と同時にこの水温安定も要件のようです。